これこそが完成形であり、もとの本当の姿。
地上で対義語が存在するのはこのせい。
SEXは本来の自分へ帰るために、引きちぎれた自分の穴を埋めるための情報交換。
恋愛と言う名の本来の愛の模擬体験を経験し本来の片割れの喪失を埋めようとする。
ほとんどの恋愛は○の相手ではなく違う相手と本質の模擬体験をしている。その中で学びや悟りを得ている。
いつでも答えは自分の中にあります
苦しいのなら
不満足なら
ご自分の魂に問いかけお聞きなさい
どうせ無理
出来ない
その思考を無視して
自分の感情がなんと言っているのかお聞きなさい
それが答えです
不可能はありません
不可能にしているのはあなたの思考なのです
可能だと意識を変えた瞬間に
不可能は可能に変わり
不幸は幸福へと変わります
不幸にしているのは自分であり
幸福への未来を創造するのも自分なのです
あなたは何をお望みですか?
一時の快楽のために異性をお求めになりますか?
現状を解決できないまま満たされない愛を
他人で埋めようとしても無駄なあがきであり
寂しさはどんな相手をもってしても埋まらないでしょう
それは現実からの逃避であり
逃げていてはいつまでも
問題は追いかけ
悩みの種を大きくするでしょう
男女は一対一で向き合うからこそ
真実の愛へと繋がるのです
何人もの人と繋がれば
エネルギーは分散し欲していた
愛は幻想と化すでしょう
それは真実の愛の姿ではないからです
都合のいい関係を求めれば
都合のいいエネルギーしか帰ってきません
癒しと称しながら
満たされない不調和を埋めようともがく
ヴァンパイアでしかないのです
それどころか
相手の満たされないネガティブエネルギーまで引き受け、2重、3重の重荷を背負うでしょう
波長の法則により
求めれば同じ相手がやってくるのです
目を覚ましなさい
結婚という誓いと制約をしている以上
責任を持ちなさい
だらだらと取り留めのない関係を続けながら
他に関係を築いて
真の幸福を感じますか?
幸せですか?
いやされますか?
肉体は喜び、魂は至福ですか?
伴侶は幸せですか?
子供は幸せですか?
浮気相手を幸せにできますか?
皆、幸せですか?
あなたの心は笑っていますか?
泣いていますか?
喜んでいますか?
エゴを手放した時
真実の愛がやってくるでしょう
あなたの心は何と言っていますか?
何をしたいと叫んでいますか?
何が幸福だと言ってますか?
その声に従いなさい
よく耳を澄まして
小さな声を拾ってあげてください
あなたが幸福になることで
周りの人々も幸福になるのです
あなたの笑顔が人を癒すのです
不可能はありません
全て可能です
さぁ、あなたは何をお望みになりますか?
「宗教」そしてそこにある「依存」とは何でしょうか?
「わたくし、ミカエルがお答えいたしましょう。
人々はなぜ宗教を恐れるのでしょうか?
本来、信仰というものは神聖であるのです。
世の中に力のある宗教という名の団体は本来の信仰の姿ではありません。
イエス・キリストの教えがねじ曲がったエゴに支配された黒魔術であるのです。
ですから恐れが湧き上がるのです。
本物の信仰とは安らぎと癒しが起こるのです。
恐れからくる信仰は恐怖を倍増させ、その膨らんだネガティブなエネルギーをエサに悪魔たちに取り憑かれし人間がエゴの私服を肥やすのです。
そこに平和はありません。
安らぎも存在しません。
恐怖を取り除くための信仰は信仰といえない偽りの姿なのです。
本来の信仰とは幸せになるための多くのメゾットを含めた自己啓発なのです。
宗教に依存するのは恐れからです。
洗脳状態の中で自分が洗脳されているも気づくサインは居心地の悪さ、違和感、不幸、不安、という感覚です。
この感覚をもつ環境、人つきあいがあれば洗脳されている可能性があります。
本来は自由であり、解放であり、喜びしかないのです。
本質に触れた時、依存はなくなります。
それまで依存していいのです。
依存を悪く言わないで下さい。
依存したあなたが可哀想です。
依存するほど大変な想いをしてきた自分を褒めてあげてください。
よく1人で頑張ってきたね、と抱擁してあげてください。
依存してお金をつぎ込むことは悪いことではありません。その時のあなたには必要だったのです。
もう必要がなくなったから、依存から抜け出したのです。
ご苦労さまと自分をねぎらい、騙された自分を許して下さい。騙されても、あなたにはそれが必要だったことを認めて許してあげてください。
これからは不安からではなく幸福のために動くのだと自分に宣言することで、よりよい未来を造り上げることができるのです。
そして本来の信仰を取り戻しましょう。
神々と触れ合う喜びを味わい、たくさんの幸福に包まれましょう!」